大阪ガストロノミー 進化する上質
大阪は豊臣秀吉が大阪城を築城する際に、堺や伏見から商人呼び寄せ、物流の集積地としたため、商都として急速に発展しました。
当時の輸送手段は船。そのために縦横無尽に堀川が築かれ、「水都」「なにわの八百八橋」が生まれました。武士が中心の江戸に対して、
公家が文化を主導した京都。それに対して大阪は、商人の街として栄えました。
その歴史が、大阪の食文化の基盤にあります。商家には 倹約という合理的な考えが暮らしの隅々に浸透し、
質素で無駄のない食事が日常化しましたが、一方で、商談などに利用された料亭などでは高級料理が発展。
大阪には庶民化された食事と高級化したガストロノミーが共生し、それぞれに刺激し合ったのです。
「船場」はその中心で、現在でも大阪の代表的な問屋街として知られます。料理が洗練されるには、「客」の存在が必須条件。船場の商人は「うまいもん」を追求しながらも、同時に「始末」(始めと終わり。つまり物事の辻褄、帳尻があっていること、そろばん勘定ができていることを意味します。)の精神を忘れない厳しいグルマンで、大阪の食文化をリードし、大阪のガストロノミーを支えました。旨い料理を求め、それを提供する料亭や料理屋で接待し商談し、情報を交換したため、船場の商人の舌をうならせる店しか生き残れないといわれたほど。大阪には、その気風と伝統、技を受け継ぐガストロノミーの名店が、技と精神を日々進化させながら、世界のグルマンを待ち受けています。
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伝統と歴史が「うまい!」を生み出す
北前船が活躍する江戸時代、北海道で収穫された昆布は、日本海の『昆布ロード』を経て、下関から瀬戸内海を経由する西廻り航路で「天下の台所」大阪、堺に運ばれた。
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なにわのピンチョス―カジュアルで旨いコナモン&B級グルメ
大阪人は、食への情熱にあふれる。食材を大切に、無駄を出さず、極力捨てることをしない。上手に料理して、 おいしく食べるためには時間と労力を惜しまない。
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なにわのアルチザン――食文化を支える職人魂
大阪南部に位置し、大阪市の衛星都市的存在の堺は、「ものの始まりなんでも堺」と謳われるほど、技術と文化を発信してきました。
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海幸・山幸なにわテロワール
大阪湾は、かつて魚庭と呼ばれるほどに、魚が豊富に獲れました。魚の庭と書いて、なにわと読みます。 それは大阪の別名・浪速の語源だと言われています。